2005年12月16日金曜日

Pipilotti List

artist: Pipilotti List (Germany)
site of encounter: Hauser & Wirth London

リストは80年代中頃からフェミニストの観点から映像作品を作り始め、今やビデオアーティストの代表的存在となっています。今回の映像インスタレーションを簡単に説明すると、ギャラリーの真ん中に池を作り、その四辺にベッドを数台並べ、そこに寝ながら天井に映し出された映像を見ます。

水(池)=マイナスイオン + ベッド →心地よい

そんな感じがしますが、実際に僕が感じたのは2つの違和感です。

一つ目。映像には一人の女性が登場し、その女性をカメラが追いかけたり、女性を至近距離でクローズアップします。その際、カメラはふわふわと浮遊感をもって彼女を追いかけていきます。その光景は、まるで夢の中である女性を追いかけているようです。また、そのためのベッドではないかと思います。
しかし、夢というのは非常に私的な体験です。自分が実際に見た光景、記憶、そのとき考えていたことなどが何かのきっかけで物語として現れる、それが夢です。夢は、作り出したその人のためのものだと思います。そのため、他者が作り出した夢を夢として疑似体験するのは難しいように思われます。それは夢ではなく、単なる映像です。そこに、ベッドの設置、浮遊感のあるカメラアングルといった「舞台装置」の間のギャップを感じました。

二つ目。先にも述べたように鑑賞者はベッドに寝て、天井に映りだされた映像を見ます。見ている本人には当然動きがありません。しかし、カメラ(鑑賞者の「目」になります)は女性を追いかけ続けます。体は全く動いていないのに、「目」は常に移動し続ける。もちろん普段映像を見るとき、大抵体は動いていませんが、ベッドに寝ているということが「動きのなさ」を強調させます。そこに、身体と視覚の分離という奇妙の感覚を覚えました。

これらの違和感をリストが意図的に作りだしているのかどうかはわかりませんが、彼女の作品を体験して受けた印象は、このような違和感です。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

美術館でbedに横たわるってすごいね。その光景に驚きです。
そうねぇ。私は見てないからこの論評を読んでイメージしてるわけだけですけど、なんか露骨な感じですね。池、ベッド、頭に浮かぶふわふわした夢らしいとされている映像。そうやって表すことによって何か別のところに論点があるのだろうか。
まぁ私は全然勉強してないからわかんないですけど。
自分は芸術家な感じじゃないので、作品見てたりしてても、自分が考えている以上にまだなにかあるんじゃないか、まだなにかあるんじゃないかと思ってしまいます(苦笑)

cucum さんのコメント...

おわっ!今、コメントしててくれたのに気付いた。ごめん。
現代美術は外見よりコンセプトが大切なとこがあるから、頭を使うよね。昔の美術作品(印象派くらいまでかな)は、一目見ただけで「美しい」って感じることができるけど、現代美術は、見た目が必ずしも美しくなかったり、ありふれたものだったり、不可解だったりするから、あれやこれやと考えてしまう。現代美術の一つの特徴として、鑑賞者を疑い深くさせる。
作品を前に自分なりにあれやこれや考えることが大切で、そのきっかけを作品が提示しているっておれは思う。そこに答えなんてなく、それぞれが感じればいいと思う。でも、こういった見方に慣れてないと、「現代美術って訳わからん」ってことになるんだよね。そこが問題点。

匿名 さんのコメント...

そうか、そういう考え方でいいんやね。
でもそしたらおれは余計に
まだ自分が見逃しているのでは。。とか
作者の意図とメチャクチャずれてんちゃうか。。とか
思っちゃいそうだなぁ。
見る目を養いたい。そして目指せ文化人◎