2005年12月31日土曜日

Paul McCarthy

今日は、Whitechapel Art Gallery に Paul McCarthy の個展を観てきました。
これが自分にとっての今年最後の展覧会になるのかな。

この展覧会に対して僕が受けたイメージを一言で言い表すならば「猥雑」ですね。
今回の作品は、アメリカのエンターテイメントの象徴であるディズニーランド、その人気アトラクション、カリブの海賊がモチーフになってます。ビデオ作品に登場してくるキャラクターはかわいいのに、非常に乱れまくってます。暴れてます、海賊たちが。


彼のパフォーマンスは、自らの身体をいじりまくります。いたぶってます。
例えば、今日観たビデオ作品の中に、自分のおち○ちんを黒いペンキが入った缶に入れる、そしてそれを繰り返す、というものがありました。

解説文にポール・マッカーシーは、ウィーン・アクショニストの影響を受けていると書いてありましたが、その影響は彼の作品に非常によく表れているな、と思いました。自らの身体をいたぶったり、血やう○ちを画材として使用したウィーン・アクショニストと比べると、その過激な身体を用いたパフォーマンスという点で共通点が見出せますが、マッカーシーの作品はアメリカ社会の風刺などより政治色が色濃く出ているかと思います。

今回の展覧会は別会場があって、そちらに大きなインスタレーションが展示されてます。こちらの方が、彼の強烈な暴れっぷり、乱れっぷりがよく出てます。
Whitechapel Art Gallery の展示の方は、ホワイトキューブの中に作品がすっぽりはまって、どうも彼の作品の持つ強烈な個性(毒々しさ、卑猥さ)が消えてしまってるような気がしました。

作品の持つ強烈な個性のわりに、自分の中にピンとくるものがなかったので、レビューについてはこの辺で。まだまだ自分のボキャブラリーが足りませんね。
なにはともあれ、2005年、日本、ロンドンといろんな展覧会を見てきました。しかし、ロンドンに来て比較的大き目、あるいは有名な作家の展覧会しか見ていないような気がします。
だから、2006年は小さな画廊にも積極的に通いたいと思います。

Whitechapel Art Gallery ホームページ: http://www.whitechapel.org/

2005年12月30日金曜日

フランスの音楽

最近、フランスの音楽をよく聞きます。

きっかけは隣人からフランスの音楽をいろいろ紹介してもらって聴くようになったんだけど、リヨンに行ったことによってフランス音楽熱に火がつきました。ぼっ。
フランス語の発音って響きがかわいらしい。イメージ的に角ばってなく、ソフトでなめらか。ドイツ語とは対極的(ドイツ語のごつごつした発音も好きです)。そして、その滑らかさがラップに結構合うんだよね。

最近一番のお気に入りがこれ。
Tete の 2nd album の「A La Faveur de L'Automne」。
音楽にそれほど造詣が深いわけじゃないので、ジャンルがなんだかわからないけど、ギター片手に歌ってるような感じ。
切ないメロディ、ちょっと情けない声が好き。
Teteっていう名前もいいね。覚えやすい。



リヨンで出会ったCD。
ARFIっていうリヨンの即興ジャズ協会のコンピレーションアルバム「Workshop de Lyon」。
前にも書いたけど、リヨンはフリージャズの活発な地。ラテンジャズとは異なるリズムをもってる。そして、即興的なおもしろさが曲から伝わってくる。
即興って演奏者同士のコミュニケーション、そしておそらく観客の反応とかも大事な要素になってくる、そんなとこに興味がある。なんかCDを聴いていても、「この音楽生きてる」って感じがします。ま、Live で聴いてるわけじゃないから、あくまでも僕の想像にすぎないけどね。

今、またTeteを聴きながら、これを書いてます。最近、エッセイで部屋にいることが多いので、Teteはヘビーローテーションです。

2005年12月29日木曜日

ドラえもん


記憶を頼りにドラえもんのメインキャラクターを描いてみた。
どれが誰だかなんとか消去法でわかると思う。
でも、静香ちゃんジャイアンだけは、なんか違うんだよな~。いまいちしっくりこない。これはこれで気に入ってはいるんだけど、どっか違うキャラになってる気がする。

2005年12月28日水曜日

It's snowing now!

Snow again!
That's all I wanted to say now.

Xmas 建築散歩

クリスマスはお店もやってないし、バスも電車も動いていないので、Holloway 周辺をぶらぶら散歩してみました。そしたら、この周辺は結構おもしろい建築があることを発見。以下、ちょっと紹介。

Emirates Stadium 建設中

アーセナルの新しいホームグラウンドになるかと思われます。
Emirates というお金持ち航空会社がスポンサー。





左の写真の建物は、一部が木でできている。おそらく階段部分なのかな。ぬくもりを感じます。

右の写真はオフィスビルかと思われます。色のついた透明ガラス(?)がところどころにはめ込まれ、ステンドグラスのよう。 この二つの建物は、道を挟んで向かい合ってます。



ダニエル・リベスキンドがデザインしたメトロポリタン大学の校舎。
外観は非常に奇抜なデザイン。はたして内部はどうなっているのか、興味があります。今度、学生に混じってもぐってみよう。







この地区は、モダンな建築がバシバシ建ってます。
ロンドンを歩いていると、古い街並みに中で急にモダンな建物に出くわす。その文脈のなさ、そんなとこにロンドンらしさを感じます。

リヨン、ロンドン、雪。

午前中に降った雪


リヨンから帰ってきました。
まだ頭の中が整理されていないので、リヨン・ビエンナーレの感想はまた改めて投稿することにします。その代わりに、クリスマスについて少し。

24日のクリスマス・イヴの日にロンドンに到着。
イヴの日はさすがに空港も飛行機もガラガラでした。しかし、スッチーさん(客室乗務員)がサンタさん帽子をやるきなさ気にかぶっていたのは、ウケました・笑。写真撮ればよかったかな。
そして、恐怖のイギリス入国審査も、クリスマス・イヴのせいなのか、意外にすんなり通過。今回は、かなり緊張してた自分が馬鹿みたいなくらい、あっけないものでした。

25日は、ロンドンは交通機関がすべてストップするので、なにもすることなく、散歩したり、ごろごろしてました。夜は、DVDで「Love Actually」を観て、クリスマス気分を盛り上げる。

そんなこんなで、イギリスでのクリスマスを過ごしました。

右の写真は、Kinderのクリスマスセット
クリスマスも終わり、安売りしてたので思わず買ってしまった。Kinderのチョコはお気に入りです。

2005年12月21日水曜日

Lyon へ

22日から Lyon Biennale of Contemporary Art に行ってきます。
(このリヨン現代美術ビエンナーレについては、こちらを参照 http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/k_t/lyon.html

上のサイトに説明してあるように、リヨン・ビエンナーレを毎回、ゲスト・キュレーターを招いて展覧会の企画を依頼する。そして、今回のキュレーターが、Nicolas Bourriaud(パリにあるパレ・ド・トーキョーのキュレーター)である。ブーリオは現在、最も注目されてるキュレーターの一人、いわゆる「売れっ子」キュレーターである。

僕はロンドンに来て、彼の主著「Relational Aesthetics」(日本語に訳せば「関係性の美学」かな)に出会った。この本においてブーリオは90年代美術のひとつの流れを、鑑賞者の作品への参加を前提とした非常に開かれたものであると捉えた。そこでは「作品」における鑑賞者の行為やリアクションが「作品」を構成していく。作者 - 作品 - 鑑賞者の関係だけでなく、鑑賞者同士の関係性、共同体的な横のつながりをも生むのもこの傾向の特徴のひとつであると思う。そこでは、作者はそのような関係性を生む「場」をつくりだす「プロデューサー」的な色合いが強い。

例えば、この傾向の代表的な作家として、ブーリオはリクリット・ティラバニージャ(Rirkrit Tiravanija)を挙げている。彼は、ギャラリーで鑑賞者にタイカレーを作ってふるまった。

僕は元々、鑑賞者参加型の作品に興味を持っていたので、こっちに来て一番初めに食いついた本といえる。また、彼はキュレーターとして現場で働いている人なので、実例を挙げて理論をわかりやすく述べているため、非常に読みやすかった。そして、大学院での最初のエッセイはこの本について書いた。

というわけで、ブーリオが今回のリヨン・ビエンナーレのゲスト・キュレーターであることを知り、これは行かねば!と思い、この冬休みは課題に集中するつもりだったが、急遽、フランスに行くことにした。やはり実際の彼の仕事を見てみないとね。

おまけにリヨンは、「地球の歩き方」によると美食の街らしい。「美食」とはかけはなれたロンドンに住んでいるため、展覧会だけでなく食の方もかなり楽しみ。また、この街は、ヨーロッパのフリージャズの中心地のひとつらしいので、そちらも注目。 現地に行ったら、CD屋に行ってリサーチしてみよう。なんかいいCDと出会えるといいな。

ちなみに、Lyon Biennale of Contemporary Art のホームページはなかなか面白いデザインです。
http://www.biennale-de-lyon.org/bac2005/angl/index.html

2005年12月17日土曜日

Kim Gordon & Jutta Koether


artists: Kim Gordon & Jutta Koethe
site of encounter: "Her Noise", South London Gallery
date: 16.12.2005

South London Gallery


何も考えずに、その場の勢いに任せて、リハーサル・スタジオに入り、楽器を演奏し、それをレコーディングすることになった。しかし、小学校のリコーダー以来、楽器なんて演奏したことがない。目の前にあるのは、ギター、ベース、ドラム。その中から、ドラムを選ぶ。その理由は、ドラムは叩けばそれなりの「音」がつくりだせると思ったから。スピーカーから流れるKim Gordon の Vocal を頼りにドラムを叩く、ひたすら叩く。控えめに。

リハーサル・スタジオとなっているテントは、ギャラリーのど真ん中にある。これは、"Her Noise"という「音」をテーマにした展覧会に出品されたKim Gordon & Jutta Koetherの作品である(Kim Gordonは Sonic Youth のベーシスト)。テントの中とはいえ、展覧会会場のど真ん中にある。テントの外では、人が他の作品を見ている。当然、僕が作り出す「音」は外にもれる。あまりにもぎこちない「音」が。
そういったことを意識するために、音はどんどん控えめになっていく。しかし、そんな中でも、Kim Gordonの歌声に少しずつリンクしていくような気がした。あくまでも自分の中で。

レコーディングしたCDを家に帰って聞いてみる。 
ぎこちないドラムの音。そこにはじめてのドラムと奮闘する自分の姿が見えてくる。そして、その「音」は周りの目を気にしている。しかし、不思議と音楽らしきものに聞こえてくる。
Kim Gordon は言う、
"Coming to music from a non-musician, DIY punk context, it's important for me to show how easy it can be to make music."
そして、John Cage は「すべての音に生命がある」と言った。

うん、確かにそうだ。
誰もが音楽をつくり出すことはできるんだ。


これが、完成したCD。

2005年12月16日金曜日

Otaku

Otaku
In English, an otaku (plural usually otaku, since Japanese words are not pluralized using an "s") is a variety of geek (or an overly obsessed fanboy / fangirl) specializing in anime and manga. (From Wikipedia, the free encyclopedia)

Otaku is no longer mere Japanese subculture.

Takashi Murakami inserted Otaku culture such as anime and manga into the context of contemporary art and he had a success in the United States.

In Venezia Biennale 2004 (the international architecture exhibition), Japanese pavilion showed the space produced by Otaku culture in city.

It seems to me that people in the world see Otaku culture as the originality of Japanese culture, or Japanese ourselves introduce it as our originality.

Anyway, Otaku got popularity not only in Japan, but also in the world.

Pipilotti List

artist: Pipilotti List (Germany)
site of encounter: Hauser & Wirth London

リストは80年代中頃からフェミニストの観点から映像作品を作り始め、今やビデオアーティストの代表的存在となっています。今回の映像インスタレーションを簡単に説明すると、ギャラリーの真ん中に池を作り、その四辺にベッドを数台並べ、そこに寝ながら天井に映し出された映像を見ます。

水(池)=マイナスイオン + ベッド →心地よい

そんな感じがしますが、実際に僕が感じたのは2つの違和感です。

一つ目。映像には一人の女性が登場し、その女性をカメラが追いかけたり、女性を至近距離でクローズアップします。その際、カメラはふわふわと浮遊感をもって彼女を追いかけていきます。その光景は、まるで夢の中である女性を追いかけているようです。また、そのためのベッドではないかと思います。
しかし、夢というのは非常に私的な体験です。自分が実際に見た光景、記憶、そのとき考えていたことなどが何かのきっかけで物語として現れる、それが夢です。夢は、作り出したその人のためのものだと思います。そのため、他者が作り出した夢を夢として疑似体験するのは難しいように思われます。それは夢ではなく、単なる映像です。そこに、ベッドの設置、浮遊感のあるカメラアングルといった「舞台装置」の間のギャップを感じました。

二つ目。先にも述べたように鑑賞者はベッドに寝て、天井に映りだされた映像を見ます。見ている本人には当然動きがありません。しかし、カメラ(鑑賞者の「目」になります)は女性を追いかけ続けます。体は全く動いていないのに、「目」は常に移動し続ける。もちろん普段映像を見るとき、大抵体は動いていませんが、ベッドに寝ているということが「動きのなさ」を強調させます。そこに、身体と視覚の分離という奇妙の感覚を覚えました。

これらの違和感をリストが意図的に作りだしているのかどうかはわかりませんが、彼女の作品を体験して受けた印象は、このような違和感です。